2011年02月28日

「日本人はなぜ戦争へと向かったか」

昨日、NHKスペシャル「日本人はなぜ戦争へと向かったか」を見ました。

大正デモクラシーから一転、戦争へと突き進む昭和の日本における
マスメディアの役割。

決して、メディアは政府や軍隊に一方的に強制をされたのではなく、
自ら進んで戦争を賞賛し、華々しく飾りたてて国民を誘導してきたと
いう事実。

不況で苦しんでいた新聞業界が、戦争報道で息を吹き返したこと。

メディアが国民をあおり、あおられた国民の世論が、さらにメディアを
後押しして、どんどん戦争の方向へ国民を誘導していくという流れは
本当に背筋が寒くなる重いでした。

私は以前、戦前の新聞の展示を見に行ったことがありましたが、
言論への弾圧が厳しかったといわれる戦前でも、昭和初期までは
政府への批判や、軍隊への皮肉、戦争を懸念する投書などが
新聞できちんと取り上げられていました。
しかし、日中戦争のあたりから批判的な部分が失われ、
国策に沿った記事しかなくなり、勇ましい見出しばかりが躍るように
なっています。
挿絵や連載小説にまで、そうした中身が組み込まれていたことに
驚いたことを覚えています。

それにしても、世界恐慌で沈滞した空気の日本で、
戦争の記事に国民が熱狂したというのは
昨今の日本の閉塞状況とかぶるようで、不気味に思いました。
今回の番組では、戦争の記事で大きく伸びた部数という実利、
それを正当化する国益という「大義」、それらが合わさって
戦前日本のメディアが戦争を煽り、自ら戦争政策を引っ張ってしまう
経過がわかりやすく描かれていました。
私はそれだけではなく、沈滞した空気からの脱却を国民が望んでいる、
戦争報道でもなんでも、溜飲を下げることを望んでいるという
世論以前の「空気」のようなものに後押しされた部分があるのではと思います。

日本の昭和の戦争は、しばしばドイツとの比較で、ヒトラー、ナチスのように
強い求心力のある個人や組織が強い信念を以ってトップダウンで
戦争へ国民を引っ張って行ったのとは違い、明確なリーダーシップがなく、
なしくずしに戦争が大きくなっていったという違いを指摘されます。
特にアメリカとの戦争については、昭和天皇や東條首相も含め、当時の
指導者の多くは、アメリカへの開戦に信念や意欲を持っていたというよりは
「ここまできてはやむを得ない」という立場で戦争を決定しています。

「やむを得ない」とは何なのか。
戦争をする以上、冷静に徹頭徹尾検討を重ねて判断を下さなければなりません。
状況がこうだから、戦争になるほかない、といわれても、
その「状況」は本当にそうなのか、と状況そのものをまず疑い、細かく検証し、
本当に戦争以外に解決策がないのかを考えたうえでなければ、

責任ある決断ではありません。
しかし、軍人や官僚などの証言や記録などをみてみると、英米との戦争に対し
疑問を持っていた人は少なくなかったにも関わらず、その人たちが声をあげにくい
または声を上げてもそれを公にしたり、上層部に上申することができないような
雰囲気が、当時の日本に生まれていたことがうかがえる話が多くでてきます。

そうした雰囲気を作るうえで、マスメディアが果たした役割は大きいと思います。
例えば太平洋戦争開戦前から、英米文化や英語が敵視され排斥されたという
ことは有名ですが、それらも実際は法律や規則などで明確に禁じられた
ものは少なく、多くはマスコミを通じたキャンペーンによる民間のもので
あったといいます。冷静に考えれば、何の意味もないことなのに
雰囲気でそれが圧迫、排斥され、自主規制がまかりおるということは
大変恐ろしいことであると思います。
そしてそれに対して異議を唱えることさえできない「空気」があった
というのがさらに恐ろしく感じます。

何か一方向に一直線で進むということは、大変わかりやすいものですし
その中にいる人にとっては安心できる状況であるかもしれません。
何が正しいのか迷ったり、悩んだりする状況に比べれば。
そして、そういう雰囲気があればそれに乗ることが無難と感じる人は
多いでしょうし、それに疑問や批判を出す人に苛立ちを感じて
「空気読め」と言いたくなるのもまた、当然といえます。


しかし、政治家や高官といった影響力の高い存在がその雰囲気で
重大な決定をすることは悲劇です。
私は、日本が戦争に向かっていく上での重大な決定のいくつかは
こういう雰囲気でなされたものがあり、その雰囲気を作ってきたのが
マスコミではなかったかと思います。
本来マスコミの役割は「雰囲気作り」ではなくむしろ「雰囲気」を
壊して、国民に違った角度から考える材料を提供する、
あえていえば、「国民を迷い、悩ませる」ことだと思います。

特に、国民主権の民主主義国家ならばなおのことだと思います。
難しいことを分かりやすく伝えるための娯楽性や単純化は、ある程度は
必要ですが、国民に「正しい答えを教える」とか「スッキリさせる」
というのがマスメディアの役割ではありません。
現状に疑問や批判をも提示する姿勢がなければなりません。

昨今はTPPや消費税増税をめぐる議論において、まるで共同で
編集しているかのように主要新聞社の論調が足並みをそろえていることが
しばしば見られます。今回の番組でも、新聞社が国策のために一致して
協力するという場面がありました。
安易に過去を引用することはよくありませんが、多くのブログで、
このテーマで戦前と現在の類似を指摘する記事が出ています。

そして今、「日本は大変だから与野党争わずに、一致協力して
重要な課題をすすめろ」
という論調も大手新聞でしばしば出てきます。
一致協力というと聞こえはいいですが、言わんとすることは結局
重要な課題は待ったなしだから、異論や反論を議論・説得する時間はない
異論や反論を出すことは国のためにならないからやめて、一つの方向に
まっすぐ進むべきだというものです


一方向にまとまった世論が良いのではなく、違った視点からさまざまな
意見がある中で一致できる点を見出すことこそが、あるべき世論であると
思います。
マスメディアの本当の役割はそれを起こすことにこそあると思います。
posted by 向川まさひで at 00:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 平和 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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