2011年03月09日

「縁の下の力持ち」ナンバー2の魅力

日々の活動の合間にすこし時間ができたとき、気分転換に
好きな歴史の本を読んだりしています。
昨年は坂本龍馬がブームになったように、魅力的な歴史上の人物は
私も含めて多くの人に憧れを抱かせるものです。

その中でも私は、偉業をなしとげたヒーローの下で、その人を
支えた人々に特に惹かれるものがあります。

私が好きな人物を1人挙げると、古代中国、漢帝国建国の功労者
「蕭何(しょうか)」です。

漢(前漢)を建国した人物は劉邦(りゅうほう)で、三国志の劉備のご先祖ですが、
蕭何はその下で常に事務を引き受け、最上位の大臣になった人物です。

蕭何と劉邦は、ともに秦による中国統一、そして自分達の育った国が
秦に併合されるという状況を青年期に経験しました。
漫画チックに表現すれば、劉邦は「粗野だが人気者の不良」という主人公的な
キャラで、蕭何は「なぜか主人公と気が合う優等生」という感じでした。

蕭何は県の役人となり、事務能力を認められていきます。劉邦は、治安担当の
下級役人となりますが、勤めに熱心ではなく、むしろ彼自身が任侠の徒でした。

やがて、秦の二代皇帝の圧制に対し中国各地で反乱が起こり、蕭何たちの県でも
人望のある劉邦をリーダーにして叛乱軍を決起します。
劉邦は無学で事務的なことは不得手のため、蕭何がそれを一手に引き受け、
軍団の運営を任されました。

反乱軍はとうとう秦の都を攻め落とし、秦を滅ぼします。
古代の戦争では、戦争に勝った側は負けた側の都市を徹底的に略奪します。
劉邦の軍隊も、総大将である劉邦以下、秦の宮殿の財宝や食料、また女性を
我先にと手に入れようとします。
蕭何はそうしたものには目もくれず、いち早く部下を連れて秦の国の役所に入り
地図や公文書を「いかなる財宝よりも価値がある」と、ことごとく接収します。

また、劉邦には略奪を止めるように進言します。
今後はこの地域を統治するのは我々なのだから、現地の人間の恨みを
買うべきではない、と

上司もふくめ他の人が目先の利益に目がくらんでいる中、その先を見通して行動
するというところが、私はとても格好いいとおもいます。

後から来た友軍の項羽軍によって劉邦軍は追いやられ、秦の都は略奪と焼き討ちを
うけてしまいますが、蕭何がおさえた公文書には、中国全土の地形や税収、
また人民が困っている問題などが書かれていました。

これが、後の項羽との戦争、そしてその後の漢帝国の統治に生きてきます。

劉邦は秦の中心地を支配することが認められず、辺境の「漢中(漢)」とその
周辺の支配が認められただけであり、論功行賞に対する不満から各地で
項羽への叛乱がおき、劉邦も漢中から打って出て項羽を倒そうとします。

劉邦や漢の将軍達が戦争準備にあけくれるなか、蕭何は漢の領内の安定に着手し、
民心を味方につけ、食糧増産にはげみ、劉邦を支えます。
また、兵士の中からのちに漢勝利の立役者となる将軍「韓信」を見出し
劉邦に推挙します。

項羽との戦争が始まると、蕭何は後方にあって内政を掌握し、
前線に絶えず食料、武器、そして兵士を送り続けます。一方で民心をつかんで
反乱などがおきないよう、また民衆に戦争のための過度な負担をかけないように
バランスの取れた内政を行います。
劉邦は戦争に強い項羽にしばしば敗北しましたが、蕭何の強力なバックアップで
負けても戦線を維持し、ついに項羽を追い詰め、討ち取ります。

天下を統一して皇帝となった劉邦は、他の将軍達をさしおいて蕭何を一番の
功労者とし、一番大きな領地を与えます。
その後も蕭何は漢帝国の「相国(非常設の最上位の大臣。日本でいえば
「太政大臣」あたりに相当)」として、中国全土の行政に力を注ぎます。

秦の国が、過度の中央集権と地域の状況を無視した収奪で滅んだことをふまえ、
民力の消耗をさけ、過度に複雑化した官制や法律を整理します。
民衆は漢の政治を支持し、漢の国は安定期をむかえます。

この蕭何の政治が、長く続く漢の国の礎となり、また漢の国そのものが
今の中国の礎となっています。

派手さはありませんが、蕭何のように能力を生かして縁の下の力持ちとなって
活躍する人たちが、私は大好きです。私自身もまた、彼らのように
働きたいと思っています。
posted by 向川まさひで at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 趣味 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック