2011年04月12日

今回の勝利をどう見るか

しんぶん赤旗に私と太田さんのツーショットが大きく出たようで、
私にも友人からのメールが届いてきています。
20110414120644.jpg
なにやら自分が当選したかのように錯覚しそうですが、
私はまだこれからが本番。気を引き締めないと・・・。


今回の勝利は、日本共産党の自力の勝利、というわけではありません。
無党派の方、保守の方、民主党支持の方など、これまでの自民党による
県会独占はいけない、何とか変えたいと思う大変多くの方が
太田さんを押してくれたことによるものです。
投票区別で見ても、マンションが多い地域の投票率が
目だって上昇しています。太田さんの主張が、多くの人の
関心を引き、投票を呼んだのだと思います。

政党対政党の力関係では、大和高田での共産党は圧倒的少数です。
少数が多数を破った、これが今回の選挙の一つの側面だと思います。
これを、「桶狭間の戦い」や「厳島合戦」に例える人もおられましたが、
私は、「太平記」(南北朝時代)で倒幕軍が鎌倉幕府を滅ぼした戦いに
似ていると思います。大河ドラマ「太平記」のあらすじは以前にこのブログで紹介しましたが(参考

鎌倉幕府が腐敗し、統治能力を失い、人々の不満が高まっていた時代。
それでも幕府の力は大きく、倒幕の試みは何度も失敗し、
リーダーの後醍醐天皇も逮捕され、倒幕軍は圧倒的少数で、楠木正成が
千早城で必死に孤塁を守っていました。
しかし、後醍醐天皇が配流先から脱出し、各地の豪族が立ち上がります。
幕府の有力な武家であった足利尊氏も、幕府に対して反旗を翻します。
関東では、無理な徴税に怒り、新田義貞が追い詰められるかたちで
国府(今で言う県庁+軍事基地)を襲撃し叛乱の手をあげました。
足利軍、新田軍には各地の武士などが次々と合流し、瞬く間に大軍となって
幕府軍をおいつめ、鎌倉幕府を滅ぼしてしまいます。

今回の選挙では、誰が太田さんを推してくれているのか、正直言って
私たち選対にはつかむことができていませんでした。
しかし、電話や街頭で「○○さんから、太田さんを頼むといわれた」
「私のところの団体は太田さんを推すといわれた」
と、日ごろは共産党とは疎遠な、むしろ対立することもある人や団体が
動いているということに、これまでにない戦いだと感じました。


勝利はしましたが、ドラマの太平記での足利尊氏(真田広之)の台詞の
ように「これからが大変」です。

皆さんから託された思いを、しっかりと実現し、高田を変えるため
太田さんと、そして高田の党組織は必死にならなければいけません。
それが、党としての当然の責任です。
また、今回太田さんを支持してくれた人が、必ずしも共産党を支持して
くれているわけではないという事実も直視しなければなりません。
後半戦の市議選では、情勢はまた違ったことになると思います。


ここを勘違いすれば、太平記の主人公格の1人である後醍醐天皇と
同じ誤りを冒すことになります。
「腐敗した幕府を倒し、新しい政治をする」ことが最大公約の要求であり、
足利、新田、楠木などの思いは、おのおのの立場によって倒幕軍の中でも
違っていました。
天皇はそうした思いをくみ、調整して政治を行うべきところでしたが、
「自分が正しかったから勝ったのだ」という誤った考えになってしまい、
周囲の声に耳を貸さず、自分が思い描くとおりの専制君主政治を行おうとします
(・・・政権の支持率が高かった頃、民主党の一部政治家が似たような言動、行動を取っていたように思います。)
かつては民衆のために関所を廃止、物価統制で穀物を庶民に安く分けるなど
善政を行っていましたが、戦乱の後の荒れ果てた状況にも関わらず
豪華な内裏を建設しようとします。恩賞の不公平、側近政治など
視野の欠けた政治を推し進め、やがて足利尊氏ら武士がそむき、
3年で政権は崩壊します。

あくまでも、政治を決めるのは共産党ではなく国民、住民です。
あらためて気を引き締め、そこを取り違えないようにしたいと思います。
posted by 向川まさひで at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本共産党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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