今日は終戦の日。各地で非戦の訴えが行われています。
私も大和高田駅前で太田県議とともに訴えました。
私は昭和53年、1978年に生まれました。
祖父は大正生まれで、戦争に従軍した経験を持っています。
父・母は戦後まもなくの生まれで、戦争の爪痕から
日本が復興していく中で育ちました。
私が生まれたころ、戦争の爪痕はほとんどありませんでした。
しかし、私の家には、戦死した祖父の弟の写真が飾られていました。
そして、町はずれには戦没者墓地があり、祖父の弟もそこに
眠っていました。立ち並ぶ無数の墓標がみな戦没者のもので
あること、祖父の弟は、実際は遺骨もないことを教えられ、
戦争の恐ろしさを強く感じました。
その戦没者墓地も戦後50年を機に合葬というかたちで解消され、
戦争を経験した世代も高齢を迎えておられます。
今の子供たちは、戦争の爪痕すら知らずに育とうとしています。
それは幸福なことですが、しかしだからこそ、戦争を美しい伝説に
してしまわないために、真実を伝えていかなければならないと思います。
戦争から時間がたって、記憶が薄れゆく一方で、幸いにも
かえってそのために隠されていた新しい資料が出てきたり、
はばかりをすてて、証言を残される方もでてきています。
これをしっかりと記録し、学ぶことが私たちにできることであると思います。
なぜ日本が戦争に向かったのか、なぜこれほどの犠牲を出すまで
戦争を終わらせられなかったのか。
あの戦没者墓地を見たときからの私の強い疑問です。
一部の人が起こした悪い戦争と教えられたこともありましたが、
私は納得できませんでした。
自ら学ぶ中で、政治・経済の行きづまり、閉塞感が広がった社会の中、
少なくない人が戦争に希望を見出してしまったこと、そして
それをあおり、戦争に反対したり家族を心配する声を押しつぶした
マスコミなど、さまざまな力があることがわかりました。
そして、なぜ戦争に希望を見出してしまったのか。戦争に勝てると思い
あれほどの犠牲が出るまで戦争をやめられなかったのか。
それは、明治時代、日清戦争・日露戦争の勝利の記憶、
それらの戦争で日本は多くの失敗もし、誤りもおかし、
国の存亡の危機にもなりました。
しかし、その経験はかえりみられることなく、勝利の経験と、
戦争の武勇談、美談のみが広がってしまっていたのです。
私たちは、ここにこそ学ばなければならないと思います。
閉塞感の広がっている今だからこそ、過去を美化してはならない。
戦争を英雄伝にしてはなりません。
66年前の戦争では、アジア解放のためと信じ、
あるいは祖国と家族を守るためと戦って散って行った
多くの若者がいます彼らのことを忘れてはなりません。
しかし、彼らを美しい伝説にしてはならないのです。
過去に学ぶということは、過去の失敗や苦い経験に学ぶことです。
過去の記憶に学び、失敗を乗り越えて平和でより良い日本を作ることが
あの戦争で失われた多くの命に対して、私たちができることで
あると思います。
70年前とちがって、私たちは正しい情報を知る手段も、政治に
自分たちの意思を反映する手段も持っています。
歴史は繰り返すと言いますが、けっして同じ轍を踏んではなりません。
実家で読んだ半藤一利氏の「あの戦争と日本人」(文芸春秋社)を
今回の宣伝で多く参考にさせていただきました。
半藤氏は長らく戦前、戦中の日本について
調べてこられ、なぜ日本が戦争に向かい、そして敗れたかを明らかにしてこられました
私たちと立場を異にするところもありますが、過去の美化に反対し、戦争と軍隊、国民について真実を追求する姿勢は、大変共感できるものですし、戦前・戦中の日本について
膨大な調査・研究に裏打ちされ、それでいてわかりやすい内容になっています。
大変読みやすい本ですので、ぜひ多くの方に
読んでいただきたいと思います。

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