2011年08月18日

原発問題の意見書


次の議会において、原発問題についての意見書を提案することになりました。
今、意見書の内容を検討しています。

意見書は法的拘束力はありませんが、地方自治法に定められた
地方議会の意思表示とし大きな意味があるものです。

福島第一原発の事故後、この問題について多くの自治体が意見書の
採択を行っています。
「脱原発」が明記された意見書もあれば、そうでないものもあります。
奈良県議会では、「原発からの撤退」を明記した共産党案に
保守系会派が難色を示し、最終的には保守系会派の意見書案に、
共産党が主張する「原発のない社会をめざし」という一文を
取り入れるという形でまとまっています。

意見書は、過半数の賛成で採択できますが、全会一致かそれに
近い形で採択できれば、議会の総意、また市民の総意として
より明確なメッセージになります。

そういう点からも、保守系の議員や市民の皆さんからも
納得の得られる形で意見書を作り上げたいと思います。


・・・さて、このために資料収集をしていて、少し気になったことがあります。

「反原発」「脱原発」を掲げる一部の個人や団体の言動が、時として
度を越し、一般の方から批判されていることがあるのです。


問題となるのは、原発や放射能に対する恐怖・嫌悪のあまり
被災地域に対する差別的な言動や、電力会社関係者、被災地の住民
に対する個人的な攻撃、非難の言動がなされることです。

このために、「脱原発」の運動自体に、批判や疑問の声が
生まれてしまっています。
本来、協力してとりくむべきである被災者の間からも。

たとえば「『福島県にいるのに、子供を連れて出ていかないのは
子供を虐待しているようなもの、人でなし』と言われ、傷ついた」という
被災者の方がおられました。
善意からの言動かもしませんが、度が過ぎています。

「被災地住民も、原発を受け入れてきたのだから責任がある。
被害者だと思うな」
という人もいます。そういう一面も、確かにあるでしょう。
しかし、それは個々人がどの程度負うべき責任でしょうか?
原発誘致は国の政策に基づいて進められたものであり、
今の被災地の住民が、過大な責任を負うべきものではありません。

あくまでも、主に責任を負うべきは組織としての国であり、電力会社であり
その中枢で責任を負うべき立場にあった人です。


原発立地の住民や現場で働く電力会社の人を責めても、何にもなりません。
もちろん立場によっては、その人たちにも多少の責任はあるかもしれません
たとえば原発誘致を行った町長さんなども、衰退をとめるための
苦渋の決断であったとしても、一定の責任はあるでしょう。
国に疑問を持たず、宣伝に加担してきたマスコミや文化人、芸能人
などにも、一定の責任はあるかもしれません。

しかし、今、そうした個々人の責任を追及する時ではありません。
まず、原発の野放図な建設、稼働にストップをかけ、国に
安全・安心の電力供給を約束させることが先決です。
「犯人探しや個々人の責任を追及するのは、原発を止めてからで良いではないですか?」
と私は言いたいです。
立場が違う人とも協力することができなければ、国の政策を変えさせる
ことはできません。「脱原発」が自ら敵を増やしてはなりません。

もう一つは、脱原発に批判的あるいは懐疑的な人に対する
「無知」や「原発推進派」という決めつける「レッテル張り」の言動です。
(もちろん、原発推進派からも、同じようなレッテル張りを
されることもありますが)

原発のことがこんなに問題になっていても、やはり電力供給のことが
心配な人もいます。「原発をなくして大丈夫か」と不安に思う人もいます。
しかし、それは当然のことです。日本はこれまで原発をすすめてきた
わけですから、急な路線変更には抵抗が生まれるのは当然です。
それに、もし原発停止が本当に電力不足を招くなら、医療にも
影響が出ますし、お年寄りや障碍者など弱者にしわ寄せが出るのは
確かです。そうした心配も当然です。


だからこそ、脱原発運動は明確な根拠を示し、丁寧な対話を
しなければなりません。
それも、相手を無知ときめつけた上から目線ではなく、
相手の批判や疑問を受け止めたうえで示す対話です。

それを省略して、相手にレッテル張りをすることは、反原発の
運動を他者からの孤立・分断へと自ら追い込むものです。
反原発の声は高まっていますが、まだ安定多数とは言えません。
「脱原発派」だけで固まるのではなく、
原発の停止に懐疑的、批判的な一般市民としっかりと対話し、
一致できる範囲で一致して協力しなければ、安定多数は
つくれません。
また、たとえいったん多数派になれたとしても、多数であることを
良いことに、少数派の疑問や意見を押さえつけてしまっては、それこそ
政権交代直後の民主党の「マニフェスト絶対」と同じです。
警戒や反発を生み、そして自らの硬直化と分裂をまねいてしまいます。



「彼は〇〇だ」などというようなレッテル張り、異なる立場や異論の排除が
跋扈すれば、必ず、反原発の運動の中でもさまざまな分裂が起き、
結局原発推進派を利してしまいます。

これは歴史を振り返れば、日本でも世界でも、社会を変えようとする運動が
しばしば陥って、最終的に運動の挫折につながってきた誤りです。
言うは易し、行うは難いことだとは思いますが、ぜひとも貫きたいと思います。


閉塞や不安が広がる社会では、しばしばその苦境の「犯人探し」「レッテル張り」
が行われ、特定の人々に対する差別や暴力につながることがあります。
たとえば、かつてナチスがユダヤ人や障碍者に対して行ったように。また、
中国の文化大革命で、「反革命」のレッテルを張られた人に対して行われたように。
決して、脱原発の取り組みにそんなものが入り込まないようにしたいと思います


今回、日本共産党は脱原発について「幅広い共闘」を提案しています。
日本共産党は「五年から十年の期限を切っての原発からの撤退」を提案しています
が、よりラディカルに、原発の即時撤退を求める人たちとももちろん共闘を
目指しています。また「脱原発」に賛同できない人とも、
「原発の安全対策を抜本的に見直す」という点までは一致して協力できると
呼びかけています。

私は一市会議員に過ぎませんが、手の届く範囲でできるだけのことを
していきたいと思います。
posted by 向川まさひで at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 原子力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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