2011年08月29日

原発の「安全性を検証」するということについて


脱原発をめぐる対話、宣伝などでは、私は必ず「原発の安全性について、
東日本大震災と同レベルの災害を想定した徹底検証をすべき」

ということを主張しています。

この間、いくつかの対話の中で、脱原発運動の方から批判を
いただきました。

安全な原発などありえない、原発の安全性を検証しようということは
原発の存在を認めることにつながってしまう
、というものです。

この点について、ご説明したいと思います。

電力6.png
△安全な原発はない、の一つの証左。世界的な地震多発地帯に、日本の原発があります。電力7.png
△福井原発と活断層です。

まず「原発の安全性を検証する」ということは、脱原発運動の側にとっても、
脱原発に批判的あるいは懐疑的な人にも、共通して取り組める目標で
あることです。


「放射能は怖いけれど、原発をなくして本当に大丈夫か。生活できなくなったり
日本経済がだめになるのではないか」
と迷っておられる方とも
目標を共有して運動ができます。

50年以上にわたる日本の原発政策を転換するには、脱原発の運動の力だけでは
足りません。生活の安全を第一に考える無党派・保守の方々とも協力して
いかなければなりません。
原発の安全性を、最悪を想定して検証しよう、ということは、
「福島はたまたま運が悪かっただけ。安全を考えたら何もできない、
何が何でも日本には原発が必要。経済が第一で安全は二の次でいい」

というような極端な「原発推進」派以外には否定できないことだと思います。
運動の幅を広げるうえで、必要であると考えます。

つぎに、原発をなくすにしても、すぐにすべての原発をとめることは困難であり、
仮に発電は止めても、安全な状態になるまでに大変な時間を要します。
その間に災害に見舞われる危険もあります。
また、場合によっては優先順位をつけて原発をとめなければならない
場合もあると思います。その手順、段階を定めるうえでも安全の確認が
必要になってきます。
原発をなくしていくからこそ、今ある原発の周辺住民の安全には
十分な配慮が必要となるのです。
いうまでもなく、その「安全性の検証」は電力会社にやらせては
いけませんし、原子力保安院にまかせてもいけません。
どちらとも関係のない、第三者(原発の危険性を熟知した専門家も含めて)
による検証が必要です。


そして、「安全な原発はあり得ない」ということは、「脱原発」の運動を
している側では共通認識となっていますが、
他の人たちには、その理解がまだまだ広がっているとはいえません。
長い間、多額のお金をかけて安全神話が広げられてきた影響であると思います。

だからこそ、まず、安全な原発はありえない、ということを、
ひとつひとつ検証して白日の下にさらし、安全神話を完全に消し去ることが必要であると思います。

その過程を通して、国民の多数の世論を「安全な原発」から「脱原発」へと
動かし、原子力政策そのものを切り替えることができると思います。

原発の安全性を検証することは、原発を認めることではなく、
脱原発に世論を動かす力となる、重要なものであると私は思います。
posted by 向川まさひで at 22:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 原子力 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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