2012年05月27日

生活保護行政についてA親族扶養の問題

長くなったので分けます。

【「親族扶養」の問題】
 生活保護法では「親族の扶養が保護に優先する」という原則があり、民法では「直系血族または兄弟姉妹」「配偶者」には扶養の義務があり、このほか特別な場合には「3親等内の親族」に扶養義務が発生する場合があるとされています。そもそも、親族の扶養を前提とした社会保障制度が適切かという議論があり、私も社会保障の制度は個人か夫婦と未成年の子供の核家族を単位とすべきであると思いますが、今、河本氏の件を受けてむしろ親族扶養の原則を厳格化しようという動きが出ています。

 現行法においても、夫婦間や未成年の子どもに対する扶養義務を除けば、親族間扶養は努力義務とされており、扶養する側が生活に支障をきたすほどの扶養義務は求められていません。この点を厳格にしようというのが今の自民党や小宮山厚生労働大臣の動きです。
 しかし、これは生活困窮者やその家族をさらに追い詰めるものであり、そもそも現実とかけはなれた、生活保護制度の改善には意味のないものであると思います。というのは、生活保護を申請する人で、家族はその人を養えるくらい生活に余裕があるにもかかわらず、その人だけが生活に困窮している、ということは現実にはほとんどないからです。

 生活保護を必要とする人は、仕事や家や財産がないだけでなく、健康や、資格・技術・学歴、そして頼れる実家や家族といった無形の「財産」をも失ったり、持っていなかった人たちがほとんどです。以前の「派遣村」の時、「なぜこの人たちは実家に頼らないのか」と素朴な疑問を持った人(私の母も)も多いと思いますが、派遣村から生活保護受給に至った人たちは、実家も生活が苦しく頼れない(中には実家が生活保護受給中のケースも)、親から虐待を受けていた、実家そのものがもはやない、などというケースです。そして、就職活動をしようにも、安定した仕事につながる技術や学歴・職歴などを持っていない人がほとんどでした。

 自営業や農業の世帯が多く、技術や学歴が低くても就職先が比較的ある時代ならば、「実家や親せきに身を寄せ、家業を手伝いながら次の仕事を探す」というような方法がとれたかもしれませんが、現代ではそのような条件のある人はわずかです。家族や親族が頼れる状況にあれば、そもそも生活保護を必要とする状況に陥らない人がほとんどだろうと思います。

 また、生活保護を申請する方の場合、家族・親族に扶養可能な収入や資産がなくはない場合でも、家族間での金銭トラブルや暴力などによって、すでに信頼関係を失っているケースが多いです。かつては実子による経済的虐待を受けてきた生活保護受給高齢者に、子どもに仕送りを頼むように指導したり、DVから逃れてきた女性が生活保護を申請した際に、「夫や舅姑に連絡を取り、扶養を求めてください」などと無茶苦茶な応対をした窓口があったそうですが、親子や兄弟の場合でも、信頼関係を喪失した関係の人同士を、公的機関がむりやり扶養義務を課すことは、虐待や暴力による悲劇を必ず生みだすことになります。

 信頼関係が喪失していない場合でも、扶養義務を課せられることで、扶養する側の生活が圧迫された(子どもの進学が困難になるなど)場合、相互の関係が悪化し、扶養の放棄や虐待など問題を起こすことになると思います。市役所などの調査で、思いがけず扶養可能な親族と連絡がついたり、窮状を知って関係が改善するケースもなくはないので、これまで以上に調査を行うこと自体は良いと思いますが、親族の扶養義務の強化は弊害のほうが大きいと思います。また、現行でも、生活保護基準を下回って生活している世帯のうち、生活保護を受給している世帯は2割〜3割(アメリカなどでは8〜9割)にとどまっており、生活保護を受けていない世帯の多くは、親族の手を借りていると考えられます。日本ではすでに十分、生活保護受給前の親族扶養が行われていると思います。

 今回のケースで、「河本は母親が生活保護を必要とした時点で下積み芸人などやめ、どこかで働いて母親を養うべきだった」などという人もいますが、そうなっていれば、河本氏が母親を扶養し、かつ保護費を一部返金できるほどの収入を得られていた可能性は低かったと思います。
 生活保護を受けている人の子どもがどの程度の扶養義務を持つのかということについては、生活保護制度の歴史に教訓があります。1960年代、生活保護世帯の中学生や中卒者の非行事例が大変多くなったことがありました。その背景にあったものが、家族に対する扶養義務です。当時は生活保護世帯の高校進学は認められず、中学を卒業した子どもはすぐに働かなければなりませんでした。しかも、中卒すぐでそれほどの収入がないにもかかわらず、収入に応じて生活保護費は減額、場合によっては打ち切りとなってしまいました。

 自分が働いてお金を稼いでも、家族の生活費に消えてしまい、一向に貧乏から抜け出せる先が見えない、生活が楽にならない、高校にも行けないという状況で、まじめに働く意欲を失ってしまう子が多かったのです。今でいう「貧困の連鎖」を作っていたのです。

 そこで、中学を卒業した子は「世帯分離」することが認められるようになりました。中学を卒業した子は世帯を分け、その子は生活保護から外して経済的に自立させ、同時にその子の収入は他の家族が受け取る生活保護費には影響しないようにしたのです。「親兄弟の扶養は収入が増えてからでいい。まずはあなたが自活しなさい」というわけです。この結果、働くことへのインセンティブが高まり、また奨学金や定時制を活用して高校卒業もできるようになり、生活保護世帯の子どもたちがより社会的に上昇し貧困から抜け出せる可能性を広げました。現代では高校まで生活保護の適用が認められますが、専門学校や大学進学に際しては同じように世帯分離の方法を使っている人も多くいます。
 
 社会の中の貧困を減らすという観点では、生活保護受給者の子どもに社会的上昇のチャンスを捨てても親兄弟を扶養させるという方法は正しいとは思えません。夢やチャンスをふいにして親兄弟を養うのが親孝行なのかどうかというのは、道徳や価値観の問題です。
posted by 向川まさひで at 00:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 政策・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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