2016年07月08日

異様な自民党の教育現場介入

今日、ネット上でこのような記事が流れてきました。
自民党が「学校教育における政治的中立性についての実態調査」をはじめ「密告」をお願い→批判殺到し削除
http://matome.naver.jp/odai/2146798733344433901
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異様の一言に尽きます。
まず、「教え子を戦争に送るな」という平和主義教育のスローガンまで敵視の対象としていることです。
この言葉は、国策に基づいた教育を行い、国家と戦争の正義を信じ込ませ、人命を軽視して多くの若い命を失わせることになった戦前の教育に対して、当時教壇に立っていた教員・元教員の深い反省と自己批判が込められた言葉です。
この言葉を敵視するということは、戦前の「国策教育」を是とするということでしょうか。
おそらく、そのような教育を求めているのだと思います。

そして、「政治的中立」の名のもとに、教員の言論を監視し、教育への政治的介入を
図っているということです。
自由と民主主義という自らの党名を汚すふるまいです。

この人たちが考える「政治的中立」な教育とは、つまり「国の方針に忠実」かつ「無色透明」、政府の見解や教科書の通りに教えるということのように思えます。
大和高田市の6月議会でも、公明党議員が「教員が自分の主張を授業に入れることが絶対にあってはならない。チェック体制を」という趣旨の質問をしました。

それは、教育というものに対し、また民主主義に対して不見識きわまるものです。

教育とは、きわめて人格的な営みです。学校では、教員が自らの言葉、行動を通して子供たちを教え導き育てるもの。教育内容には否応なく、その教員の人格が反映されます。
中立性を強調し、教員が自らの感性や思想を封じ込め、自ら考えての言葉ではなくルールに基づいた言葉で話すという、個性・人格なき教育で、子供たちを教えることはできません。
別の角度でいえば、様々な生徒からの問いかけに対し「先生はこうだと思う」ということが言えない先生を子供たちはどう思うかということです。

また、国の見解に忠実であることが「特定のイデオロギーに偏らない」「政治的中立」であるというような認識も、そもそも間違っています。
国の見解も、つねにイデオロギーの影響を受けざるをえません。たとえ民主主義国家においても。
それゆえに民主主義と国民主権を健全に機能させるには、国の見解を相対化し、疑うというプロセスが欠かせないのです。


「偏った」意見を排し、「お上」の見解やその場の多数意見に疑問なく従うことを良しとする「自称中立」が民主主義にとってもっとも危ういものです。「偏った」意見を排して「政治的中立」を徹底しようという立場は、国民主権の国の主権者教育に矛盾すると言わざるを得ません。

無論、教員がどんな教育をしてもよいということではありません。自分と意見の異なる生徒や保護者に不利益な扱いをしたり(それをほのめかした威圧したり)、批判を許容しなかったり、差別や偏見を先導する言動を行ったり、職権を利用し、教育の枠を超えたことを強要したりなどということは許されることではありません。しかしそれは、教員としての規範と職業倫理、社会人としての品格に属する問題です。

一つの「中立的」見解に統一し、偏りをなくすことが「中立性」ではありません。
民主主義の社会において「中立」とは、様々な「偏った」見解や意見が併存し、意見を交わし、社会全体のバランスを維持することです。
追記
さらに、自民党が危険な案を持ち出してきました。
改憲、議員任期延長案が浮上 自民、参院選後論議で優先
http://this.kiji.is/124092430395310084

緊急事態条項が「政府が宣言」するものである限り、これは政府による選挙の延期・中止につながります。
憲法には参議院の緊急集会規定が存在しており、議員任期延長の必要性はありません。
被災により選挙が難しい地域があれば、阪神大震災・東日本大震災の時に行われたような
その地域の議員任期に関する特別法で対応できます。
posted by 向川まさひで at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 政策・主張 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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