2011年02月06日

国民健康保険から国民健康保障に

長くなったので分けます。
国民健康保険をめぐる記事の最後です。
今回はいつにも増して大きな話となりますのでご了承ください。

これまでに書いたように、国民健康保険料の引き下げ、改善を
求めるにあたっては、国民健康保険法の「社会保障」の趣旨を
生かして行政に要求し、普遍的な人権としての医療を受ける権利を
基盤として広く市民に訴えていくという戦略
になります。

しかし、中長期的に見た場合、いずれ運動も矛盾にぶつかる時がくると
思われます。それは、日本の社会保障の枠組み全体が抱えている
矛盾です。ここをどう乗り越えるかが中長期的な医療運動、社会保障
運動のカギだと思います。

一つは、「社会保障」を掲げる国民健康保険制度と、一定のグループ
での共助を基盤とする健康保険制度が並立していることによる矛盾です。

もう一つは、国民健康保険制度が内包する矛盾です。社会保障であり、
かつ同時に「保険」でもあるという矛盾、特に
その中でも負担力が低く疾病リスクが高い人を多く抱えていることです。


例えば、会社で働いている人でも、正社員ならば会社の健康保険、
非正社員や派遣は国民健康保険、ということがよくあります。
登録型派遣や個人請負労働者はほとんどが健康保険の対象になりません。
つまり、雇用形態によって、まったく医療保険の仕組みが異なり、非正規は
共助から排除され、事業主の負担もなくなっている
ということです。
これは正社員と非正社員の間の格差、不公平を生み出すだけでなく、企業が
正社員雇用ではなく非正社員や外注を指向する動機付けになってしまっています。


また、収入が少ない世帯ほど、一般的に疾病のリスクは高まります。
一方で、医療費や保険料の支払い能力は当然ながら低くなります。
定年を迎えた高齢者も、多くが国民健康保険に入ります。
私達は「国民健康保険は助け合いではなく社会保障だ」と訴えて運動しますが、
そうした人たちを多く抱える国民健康保険が、そもそも「保険」として
存続すること事態に、実は無理があるのではと思います。


ここをどう乗り越えるのか、実は、「体制」の側、つまり社会保障に対して
積極的でない側
は、すでにこの問題に手を打ってきています。
「制度間の不公平を是正し、公平な社会保障を実現する」といううたい文句で。

いくつかの案が出されていますが、ほぼ共通している項目は
・保険料の事業主負担分は廃止する
・社会保障のための目的税とした消費税(15〜20%)で、社会保障の
 国庫負担などの基本部分をまかなう。
・医療保険は地域保険(今で言う国民健康保険)に一本化する
・医療保険は都道府県単位の独立採算として、個人からの保険料と国庫支出金
 などで運営する。

というものです。

お気づきと思いますが、これだと社会保障の財源はもっぱら個人負担の保険料、
個人負担の消費税
になってしまいます。個人にとって大変重い負担となる
ことが予想されます。そして事業主負担はなくなります。
(「社会保険の事業主負担が高いから賃金が上がらないし雇用も増えない。事業主負担を
廃止すべきだ」などという意見もありますが、事業主負担を廃止するならば
その分をまるごと賃上げしてくれなければ個人の負担が増えるだけですし、
そんな賃上げのほうが非現実的です)


また、個人の負担も、保険料は累進型ではないので、相対的に高所得者に
軽いものになります。(それでも、かなり今より高くなるかもしれませんが)

こんな制度では、収入を増やそうとすれば個人保険料か消費税が増えることになり、
今後高齢化のピークを迎えるにあたって、給付は増える中、
保険料や一部負担を払えない人が増え、慢性的な収入不足が起きて、
支出をムリヤリに削る、つまり医療の給付を制限せざるをえない、
となる可能性が高いです。

それは個人の健康をこわし、また医療機関の診療報酬も削って
医療崩壊をふたたび大規模に起こすことになると思います。続きを読む
posted by 向川まさひで at 23:39| Comment(0) | TrackBack(1) | 国民健康保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

国保の改善、保険料の引き下げをめぐって

国民健康保険の問題、4回目となりますが、
今日で一区切りとします。

前回は、国民健康保険制度のあゆみとその性格を考えてみました。
国民健康保険は「保険」でありながら、保険料を払えない人を
排除しない、「社会保障」の制度であることと、その理由は、
「助け合い」ではすべての人に医療を受ける権利を保障できないから
であること。まとめればこんな感じです。

国民健康保険の改善を進めるにあたっては、このことが大変重要です。
こうした歴史的経過を踏まえない、国保のあり方を歪めた運用が現実に
行われているからです。

ある自治体で懇談にうかがい、その自治体での国民健康保険料の高さ、
とりわけ低所得の人に対する負担の重さを、数字を出して引き下げを
求めた時です。
「確かに高いですね。払うのは大変だと思います」とその自治体の
国保担当者の方は言いました。しかし続けて、「国民健康保険は『助け合い』
ですから、給付が大きくなれば負担が増えるのはやむを得ません」
「国民健康保険に税金を投じて引き下げを行うことは、企業などの健康保険に
入っている方との間で不公平になります」
と言いました。
国保法第一条の文面を指摘しても「国保は福祉ではなく保険
ですから、社会保障ですが助け合いです」
という押し問答になりました。
大和高田市の国保の担当の方とお話した時も、同じような問答がありました。

担当者が国保法を知らずにいるとは考えにくく、同じような問答が
他の自治体との間でもあったことから、国民健康保険が『助け合い』である、
という曲解を押し通させるような方針めいたものがあるように思います。
(なお、大和高田市の国保では、特に所得が低い世帯への保険料減免
には前向きであり、保険証の取り上げにも慎重でした。「相談さえあれば、
とりあえず保険証は発行します」とも言っています。決して「保険」を前面
に押し出しているわけではありません。だからこそ上記の問答が意外でした)


こうした強力な壁と、私達は戦っていかなければなりません。
国保が「助け合い」だという考え方は、役所だけでなく、当の国保加入世帯の
間にも根強くあります。まして健康保険に入っている人の多くは国民健康保険も
自分達と同じようなものだと思っていると思います。
税金で国保を引き下げる、となれば「不公平」と反発する人ももちろんあると
思います。

運動を進めるにあたっては、「国保料が高いので1世帯1万円引き下げる」という
目標だけではなく、立場を超えて多くの人が一致・共感できる基盤の厚さが必要です。

それはやはり、医療を受ける権利の保障という視点だと思います。
憲法25条に「『健康』で文化的な〜」とあるように、生存権、人間らしい暮らし
の一番基本的な部分は健康が守られること
です。
逆に、健康が損なわれることは地位や立場を問わず誰にとっても一番の不幸です。
どんなに権利があっても、どんなにお金があっても、健康が損なわれれば
それを行使して自分の幸福に役立てることは難しくなります。
また、健康が失われれば、多くの人は家計も大打撃を受けます。
それが本人や家族の幸福を大きく損なう場合もあります。

そうした不幸から人生を守るという意味で、医療を受ける権利の保障は
多くの人にとって共感を持ちうるテーマだと思います。
高すぎる保険料が医療を受ける権利を損なっているという現状を告発し、
財政施策で保険料を引き下げることが必要であることを訴えれば
今困っている当事者以外の共感も得やすいと思います。

普段健康で、医療を受けることに関心がない人でも、医療を受けられないことが
いかに幸福を損なうかを、実例をもって告発し伝えることができれば、
理解を得ることはできると思います。

私が対話した中でも、国保料の「引き下げ」ということに対しては反発を
もっておられた人でも、国保料の高騰で医療を受けられない人がいることを
私の経験例から伝え、「所得に応じて払える保険料で払い、医者にかかれるよう
にするべきです」
というと「本当にその通りだ。医者に行けないのは可哀相だ」
と署名にも応じてくれたことがありました。

また、『助け合い』ということで言えば「国保加入者間の『助け合い』」では
なく、「医療を受ける権利を国全体で『助け合い』してみんなに保障する」
のが
国保も健康保険も含めた医療保険制度全体、国民皆保険の趣旨だ、と切り返して
宣伝していくのもよいのではないかとも思います。

社会保障はさまざまな「制度」が乱立しています。
国民健康保険と健康保険だけでなく、生活保護と最低賃金や、厚生年金と国民年金など、
その制度の「カベ」が、そのまま人と人との「カベ」となってしまうこともあります。

そしてしばしばその「制度」が人を分断し、社会保障そのものの抑圧に
利用されることもあります。
社会保障の充実を求めるためには、制度の枠内だけで考えるのではなく、
より根本的、普遍的な視点をも持つことが重要です。続きを読む
posted by 向川まさひで at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 国民健康保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月04日

国民健康保険制度のあゆみ

国民健康保険についての3回目です。もう少しお付き合いください。

国民健康保険の保険料がなぜこんなに高くなるのか、という
ことについて、「国民健康保険には、健康保険のような
『事業者負担分』がないから高くなるのは当然では?」という
指摘があります。

確かに一面ではその通りなのですが、国民健康保険は協会けんぽなどの
職域健康保険とは似て非なる制度であり、事業者負担がないから
高くて当然、というものではないのです。

歴史をたどると、まず、どこの国にも今で言う「共済」の
ような仕組みがありました。病気にかかり、医療を受けるには
個人の収入、貯蓄ではまかないきれないお金がかかるため、
皆でお金を出し合い、必要に応じてそこからお金を出したり
お金を借りたりする仕組みがありました。

近代に入り、工場などで働く労働者は、賃金や待遇を改善するために
団結・協力をしていきます。労働組合や協同組合などの始まりです。
自分達の生活を守るため、また組合運動の拡大のために共済事業が積極的に
営まれました。イギリスなどでは、労働組合が認められていない時代には
共済のための「友愛組合」に偽装して労働組合が活動していたという
こともありました。

しかし、労働者自身による共済、相互扶助には限界がありました。
今でいうワーキング・プアの人々が増えていく中で、そうした人たちは
掛け金を払うことができず、保障から排除されてしまうこと、
19世紀にしばしば発生した大不況、恐慌のために失業給付が急増し
また収入が減ってパンクする共済組合が続出したことです。

やがて、労働運動を通して、こうした保障に対して国や資本家の負担
を要求していくようになります。
19世紀後半に入り、貧困や失業が個人ではなく社会的に作られている問題で
あることが明らかとなり、社会の安定のために社会政策が必要という考えが
広がります。また、資本家の側に立ち、労働運動を押さえようとする人々も
力で押さえつけるだけでなく、労働者の生活を安定させて反体制的な
運動の力を弱めようと考えだします。(その代表はドイツのビスマルクです)

労働者同士の保険事業に、事業主・資本家も拠出を行い、国がお金や制度的な
保障を行って運営するという「社会保険」の制度が、19世紀末から20世紀に
かけて整備されていきました。

日本においても、資本主義の発展、大正デモクラシーの風潮の中で労働運動が
広がっていくにおいて、1922年に鉱山労働者などのための健康保険法が
制定され、対象者がしだいに拡大していきました。
ここに、船員保険や共済保険などが加わり、現在の健康保険制度につながって
いきます。
働く人々の助け合いが、運動を通じて公的な制度へと拡充していったのが
今の健康保険、社会保険の制度のあゆみです。
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posted by 向川まさひで at 23:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 国民健康保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

国保料が高くなった理由は?

今年のインフルエンザは予防接種が効きにくいようで、病院職員にも
インフルエンザ患者が出ています。月初めの忙しいレセプト期間ですが
医事課の職員にもインフルエンザで休まなければならない人が出てしまい、
私は休職中の身ですが、候補者活動をお休みして急遽1日現場復帰しました。
みなさんもお気をつけください。手洗い、うがいをお忘れなく。

さて昨日に引き続き、国民健康保険のお話です。
昨日の志位委員長の質問がアップされましたので、ぜひご覧ください
質問内容
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2011-02-03/2011020303_01_0.html

動画
http://www.jcp.or.jp/movie/11mov/20110203/index.html

この中で志位委員長は、国保の負担の高さと、「収納率強化」の名のもとで
行われている明らかに度が過ぎた「取立て」の実態を告発しています。

なぜこれほどまでに、国民健康保険の保険料が上がるのか?
言うまでもなく、国保の財政が苦しくなっているからですが、
ではなぜ、国保の財政が苦しくなっているのでしょうか?
少し、お考えください。続きを読む
posted by 向川まさひで at 23:57| Comment(0) | TrackBack(1) | 国民健康保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

国民健康保険料の引き下げを

地域をまわり、対話をしていると、そのまま生活相談に
なってしまうことがあります。
特に多いのは、医療費についての相談です。
病気で入院が長引き、親族にお金を借りて入院費を
払わなければいけない状況で「もう死にたい」と漏らされる方や、
失業して失業保険も切れ、保険料滞納で保険証が来なくなり
持病があっても病院にかかることを我慢されている方もおられます。

仕事を通じて、持っている私の医療保険制度の知識が役に立つことも
あり、それはそれでよいのですが、それでは到底不十分なことの
法が多く、やはり制度やその運用に手をつけなければならないと感じます。

特に、国民健康保険が深刻です。
サラリーマンの多くが加入する「協会けんぽ」の保険料率は、8%台から
年々上がって来年度は平均9.5%になってしまいます。
ここに介護保険なども加わってきます。給与明細を見て、給与から
引かれる額の大きさにため息をつかれている人も多いと思います。
(私も、残業が多くて、金額を期待した時には特に・・・)
ところが、国民健康保険では、すでに年収の10%どころか15%を越えている人が
多くなっています。
以前にも書きましたが、大和高田市は、国保の世帯の過半を占める年間所得200万円前後
の世帯では、年間で35万〜40万と、奈良県ではトップクラスの高さです。
世帯によっては、収入の2割近くになります。
年間所得300万円でも4人家族なら50万円近くになります。

ここに、国民年金が二人分として年間約36万円かかってきます。
医療・介護の保険料と、年金保険料を合わせれば、年間所得200万円世帯
なら、所得の3割以上となり、300万円世帯でも2割を越えます
それだけ保険料を取られ、残ったお金で生活することは大変です。
そのうえ、もし入院などということになれば、3割負担の医療費が重くのしかかって
きます。医療費で家計がパンクしてしまいます。

実際のところは、医療費で家計が破綻する前に医療のほうをあきらめてしまいます。
保険料を払えなくなるか、保険料は払っても病院に行けなくなるか、
つまり、保険あって医療なし、という状況になってしまうのです。
すでに、大和高田市では滞納世帯の割合は3割に達しています。

国民健康保険は「保険」とはいえ、国民に医療を受ける権利を保障し、健康を守る
社会保障の一つです。お金のあるなしで医療から遠ざけられてしまう人がいることは
見過ごせません。早急な対応が必要です。

究極的には、国の制度を変えさせ、国の負担を確保することが必要ですが
大和高田市だけでもできることがあります。
国保会計に一般会計からの繰り入れを行って、保険料を収入に応じて
払える水準に引き下げることです。
また、国保法で決められた保険料や一部負担金の減免制度を実質的に
機能させていくことが必要です。


さらに大和高田市の場合、国民健康保険のの運営経費(人件費等)への
一般会計からの繰り入れ金額が、国保法で定められた基準よりも低く、
基準の50%あまりしか繰り入れられていないため(他市は90〜100が
ほとんど)そうした運営コストの歳入不足が国保会計の赤字を大きく
しているという問題があります。

財政再建に力を入れるあまり、そうした部分への手当てが後回しにされているようです。
この点についても100%の繰り入れを行い、国保会計を安定化させることが必要です。
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posted by 向川まさひで at 23:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 国民健康保険 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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