2011年07月29日

貧困・格差の解決に向けて@

7月16日の記事「日本の貧困率」の続きです。この項の続きはこちら

日本の広がる貧困と格差をいかにして改善するか、
私の考えを述べたいと思います。

@社会保障の拡充、特に一般的な社会サービス、手当・保険制度の充実

社会保障にはいくつかの種類がありますが、生活困難な人に対する
生活保護などの「公的扶助」、障碍者などハンディを背負った人に対して
ハンディを緩和し、生活と社会参加を保障するための「社会福祉」、
これらは制度の対象を限定した社会保障制度です。

いっぽう、社会保険や、保育などの対人社会サービスは、対象を広くとっています。
「生活困難」な人に対象を限定しないという意味で、「一般的」な施策
と言われます。また、これらは、生活の困難を事前に防ぐという意味で
「防貧」施策
とも言われます。教育への公費保障や公的住宅供給をも
これに含める考え方もあります。

日本の社会保障は、これらの「防貧」政策にあたる制度・施策が
もともと十分ではありませんでした。代わって企業や家庭が、
その役割を担ってきたのです。今でも、「家族手当」などの形で
公的な児童手当・子ども手当などと別に、企業内福利厚生として
ライフサイクルに合わせた給付・補助を企業が行っている
ケースがありますが、その典型であると思います。
また、都市部で失業した人が「ひとまず実家に身を寄せ
家業や農業を手伝いながら次の生活を考える」
という、失業者の
受け入れ先として、家庭が機能していた時代もありました。

しかし、今、長引く不況、終身雇用のゆらぎにより、
企業内福利厚生も縮小の方向にあり、そればかりか非正規雇用の
拡大で、労働者でありながら厚生年金、健康保険、雇用保険など
法廷内福利ともいわれている公的政策から漏れる人が増えています。
核家族化、サラリーマン世帯の増加、年金収入に頼る高齢者の増加で
家庭が失業者を受け入れる力もほとんどなくなっています。


あらためて、公的な一般的社会保障の構築が必要です。
個別の政策、ポイントを述べます

・健康保険、厚生年金、雇用保険の対象の大幅拡充を行い、
正規雇用・非正規雇用間の社会保障の格差をなくす

→原則としてすべての労働者を対象に。中小企業にとって
保険料負担が重圧である現状を踏まえ、公費負担を増やして
保険料を軽減する方策も必要と思います。

・子ども手当、保育サービスの充実、無償教育の充実で、子育ての
経済的負担を軽減し、家計の悪化が子供の成長を脅かさないように保障する

→今後は、終身雇用を継続する企業においても、ライフサイクルに合わせて
手取りが伸びるということは期待しにくくなると思います。公的な
バックアップでその分をカバーしていくことは、少子化対策としても
人材育成の観点からも必要です。
家計がどんなに大変でも、子供が十分な医療を受けられるように子供の医療費無料化
を国の制度として整備していくことが必要です。

・最低保障年金の整備、失業給付の拡充、医療保険・介護保険の負担軽減で
高齢者、失業者、低所得者が生活困難に陥るのを防ぐ

→もっとも「防貧」の色が濃い部分ですが、今日本で増加している年間所得200万円以下の世帯、
貯蓄ゼロの世帯など、なんとか生活が成り立っている人でも、家計の余力が少ないため、
病気や失業にあえばたちまち生活と健康が脅かされる危険にさらされています。
そうした世帯の人に対して適切な手当をすることが必要です。
また、住居の保障という点で、公的住宅の役割も今一度見直すべきと思います。
私たちが求めている国民健康保険の保険料引き下げ、応能負担の徹底もこれに
含まれます。

もちろん、これらの政策と合わせて、公的扶助や社会福祉の改善も必要です。
上記の「防貧」政策と連続性のあるものにして、給付の必要性を速やかに判断し
適切な給付が受けられるものにすることが必要と思います。

社会保障を「セーフティネット」「トランポリン」と表現するむきも
ありますが、「落ちこぼれた人を救うもの」というニュアンスがあるのが
気になります。社会保障は、落ちこぼれた人を救うというものではなく、
裕福な人にもぎりぎりの生活の人にも、必要に応じてみんなに保障され、
すべての人のためにあらかじめ用意されている「命綱」のような
社会保障こそがいま求められているのだと思います。

最後に、「反貧困ネットワーク」の声明を紹介します続きを読む
posted by 向川まさひで at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月16日

日本の貧困率

日本の「貧困率」が過去最悪になったという報道がありました。

http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011071201000729.html

《厚生労働省 平成22年度国民生活基礎調査》
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa10/2-7.html

ここでいう「貧困率」とは、「相対的貧困率」で、格差の大きさを表す
指標となるものです。

あいかわらず、「年金のみで暮らす高齢者世帯が増えたためで、本当は
もっと格差は小さい」という意見もありますが、
厚生労働省の統計では、子どもがいる現役世帯の貧困率が
じわじわと上がってきていることが明らかになっています。

平均所得の金額でみても、平成9年ごろから全世帯が下がる中で
子どものいる世帯の平均所得の減少額が特に多くなっています。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa10/2-1.html

1990年代末から2008年ごろまで、日本は2度ほど好景気を迎えましたが、
全体としては家計の所得が減少を続けています。
これが、日本に暮らす国民が閉塞感を感じている最たる理由です。

私が特に気になるのは、日本の税と社会保障のシステムが、この貧困率の緩和に
どの程度貢献できているのか、ということです。
日本の税と社会保障のシステムは、所得再分配という点では
むしろマイナスではないか、という統計もあるような状況です。
今、政府が進めようとしている「税と社会保障の一体改革」も、社会保障制度を
いかにして財政的に継続するか、ということばかりで、こうした観点からの
議論がきわめて弱いものとなっています。
社会保障が必要とされる本来の目的である「貧困・格差の是正」が置き去りです。



ワーキングプアとされる人達の多くは、年金や社会保険料の負担が難しく、
失業保険もなかったりと、社会保障の制度からも排除されていることが
少なくありません。そういう世帯では、医療や教育へのアクセスも
制限されてしまいます。
そういう状況で何年間も暮らすこと、またそうした世帯が増え続けることが
日本の社会、経済にどんな影響があるのか、想像力が足りないのではないか
と思います。
posted by 向川まさひで at 19:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月19日

難病の子供を育てている世帯への助成

議会閉会中も、さまざまな相談にこたえる仕事があります。

私のところには、雇用をめぐる相談、また医療をめぐる相談が
多く寄せられています。
すべての相談に100%満足が行く解決を図れるわけではないことが
悩ましいところですが、それでもいくばくかの改善をはかることで
その人の暮らしを立て直し、希望が持てるように力を尽くしています。

さて、私が相談を受けているある事例なのですが、これは
全国的な問題にもなると思うので、個人情報につながる点を伏せて
紹介します。ぜひ、ともにお考えください。
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posted by 向川まさひで at 09:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月26日

介護保険制度の学習会

2012年度は、医療・介護の報酬同時改訂となり、
大きな変動が予想されています。
菅内閣は社会保障制度の改革を税制改革と一体に
すすめることとしており、2012年度がおそらく
節目の年となると思われます。

介護現場で働く人や、介護事業所を地域で営んでいる方を
対象にした学習会に参加しました。

20110226161448.jpg
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posted by 向川まさひで at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月24日

「無能が悪徳とされない社会」

(2/25 14:00加筆修正)
タイトルを見て、何事かと思われた方もおられるかもしれません
タイトルの言葉は、小説「銀河英雄伝説」の主人公の一人、
ラインハルトの「平和とは、無能が悪徳とされない幸福な時代の
ことだ」
という台詞からです。

ラインハルトは戦乱の時代を生き、武勲によって身を立て
皇帝に登りつめ、そして平和な時代の到来とともに命を終えました。
傲慢ではありませんが、自他ともに認める優秀な政治家・軍事指導者
であり、誇り高い人物です。
そのため、この台詞にはやや「平和」に対して皮肉を含んでおり、
その物言いに、中学生・高校生のころの私は反発を覚えたものです。

しかし、今の私にはこの台詞、別の気持ちを呼び起こしてきます。
今の日本社会においては、戦争こそないものの
「『無能』が『悪徳』とされている」のではないかと。

「有能」か「無能」かということは、その人が属する社会や集団で
その人に何が求められているかによって変わる、ごく相対的なものです。
例えば文書を作るのにたいへん優れた人も、文書を必要としない集団では
「無能者」とされる可能性もあります。

「無能」であることは、決して「悪をなす」ことと同じではありません。
しかし、しばしば「無能」であることが道徳的な「悪」であるかのように
決め付けられ、人格を否定されるような非難を受けることがあります。
例えば「自己責任」論の文脈です。


「整理解雇を受けるのは、会社に対して能力を示したり、人脈を作って
こなかった本人が悪い」
「人間関係に悩んで心身を病むのはコミュニケーション力の欠如であり
自己責任だ。そんな奴を援助するなどばかげている」
「失業のリスクに備えるのは自己責任で、100万円ぐらいは貯金しておくべき。
それをせず失業してホームレスになった非正規の連中など人間のクズだ」
「公立高校を落ちて私立高校に行き、授業料が払えなくて困るなんて自己責任
公立に行けるぐらいの勉強をするか、高校に行かなければ良い」


などなど。それぞれの文章に対して言いたいことはありますが、それは
おいておくとして、これらは困っている人や被害者に対して「能力の不足」を
あげつらい、それを「努力」の不足などに置き換えて、道徳的な問題にして
それをもってその人自身を責め立てるというところが共通しています。

本当に能力がないからなのか、という問題もあります。しかし仮に能力の不足が
あったとしても、そこまで責められなければならない「悪」なのでしょうか。
能力が足りないということは、もっぱら「努力が足りない」本人の責任でしょうか。
そのために健康で働き(学び)、暮らすという人間的な生活を送ることまで
否定されなければならないのでしょうか。

そもそも、「努力」と「結果」や「能力」は比例関係にはありません。
「努力」すれば成功する可能性が上がり、能力も伸びる可能性があります。
ですが、決してそれは「努力」をすればするほど結果が出るというものではなく
さまざまな要因、時として「運」にも左右されます。
結果を見て、努力を評価するのは間違っていますし、能力が低いことは
その人の努力が足りないなどというような、道徳的な問題ではありません。

しかし、今の日本では、さっきの自己責任論のように、貧困や失業、病気など
「困難な状態に陥った人」に対して、同情や共感ではなく、そうなったことへの
非難
が浴びせられるという風潮があります。

特に、困難な状況に陥った人に、不摂生や言葉遣いの悪さなど、何らか「落ち度」
があれば、「それ見たことか」と厳しく攻撃されたりします。
「派遣切り」があちこちで行われて話題となった時も、住むところをなくして
報道された青年が、タバコやお酒を飲んでいたことや、父母との関係が悪い
ことに対してバッシングが行われたこともありました。

間違いのない完璧な生活をして、日々常に努力してありとあらゆる能力を
身に着けていればそんな状況に陥らないはず、だから何か本人の「落ち度」が
あるはずであり、やはりそれは本人の能力の欠如、そして努力の欠如に他ならない、

という幻想があるように思います。
人生常に正解、成功ばかり、常に努力と向上、なんて人が本当にいるとは思えません。
誰しも欠点のない人はいないし、失敗を犯します。いつもいつも努力や向上を
続けられるわけではありません。
しかし、非現実的な人間像が求められ、そこから外れることがわかれば
非難される風潮です。

私は、こうした風潮は、日本の社会にあるべき「ゆとり」「余裕」が失われている
あらわれではないかと思います。
社会全体がムダを嫌い効率を追求するあまり、成功や成果に効率的に結びつく
「有能さ」が善とされ、失敗やつまずきや回り道をすること、またそれを許容
することが「無駄遣い」であり、悪とされてしまっています。
常に成功、正解でなければならない窮屈な社会になっているように思います。
見方を変えれば、「失敗が嫌われ、恐れられる社会」ともいえます。
少し前の記事で書いた、若者の安定志向にも関係していると思います。

しかし、個々人の人生においても、社会全体でも、失敗やつまずき、回り道が
財産となることは多いにあります。
成果や成功を効率的に獲得する「正解」をただ出しているだけでは、そうした財産は
得られません。
今必要とされる成果や成功を効率的に出せる、という「有能さ」に社会の価値を
置いてしまうことは、他の能力や経験を評価せずに切り捨ててしまうことになり、
社会の多様性が失われ、情勢や環境の変化に対して弱い社会になってしまいます。
また、人の不完全さや弱さを許容せず、つねに正しく、「有能」であることを
求める社会は窮屈であり、失敗を恐れ、消極的、退嬰的な風潮となり
社会の活力を生み出すことはできません。

「無能」を「悪徳」と考えて切り捨てることは、社会の損失です。
経済の停滞が先か、こうした風潮が芽生えてきたのが先か、鶏と卵の話になって
しまいますが、いずれにしてもこうした風潮を切り替える必要があります。

社会保障の充実などを通して、失敗や回り道をする人を切り捨てずに社会で抱え、
その人たちの経験も、その人たち自身も社会の財産とする「ゆとり」を、日本の
社会に作っていかなければならないと思います。
そうした社会であってこそ、「失敗を恐れず」自分の能力や興味関心を生かして
活躍する人が増える、活気ある社会が作られるのだと思います。

「無能が悪徳とされない社会」は私が目指している社会のイメージの一つです。
続きを読む
posted by 向川まさひで at 23:24| Comment(0) | TrackBack(1) | 社会保障 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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