2013年12月20日

『進化論と競争至上主義』(ツイッターより再掲)

 有名なチャールズ・ダーウィンの進化論が、優生思想や社会ダーウィニズムに応用され、ナチズムなどにつながっていったことはよく知られています。その過程で捻じ曲げられた最も根本的なことは、ダーウィンは自然界の生存競争による「適者生存」のルールを見つけたものの、「優者生存」とは言っていない点です。

 ダーウィンは「適者生存」のルールの存在を唱えるとともに、「最も強いもの、最も賢いものが生き残るのではなく、生き残るのは変化できるものである」とも言っています。実はこの2つには、微妙なずれがあります。それは、「強さ」や「賢さ」も環境への適応の結果であることです。
 ある環境において有利な能力や知恵を発達させたものは、その環境下での競争の優位者となり、強者・賢者となります。ですが適応すればするほど、環境への依存も高まり、環境の変化に対して対応する力を失っていくことになります。
 ゆえにダーウィンは「進化とは『進歩』ではなく、目的や意味はない」と、生存競争とその結果の進化に価値判断を持ち込むことを否定しましたが、社会理論に応用される過程でこの部分は切り捨てられていきました。すなわち「競争で生き残るのは、最も進歩した優れ者である」と。

 社会ダーウィニズムは現在ではほぼ否定されていますが、その影響が強いのがいわゆる自由競争至上主義です。一般的な自由主義や競争主義は、競争を通じた資源分配を考えますが、この考え方は分配よりも競争による『選別』にずっと大きなウエイトを置くところに特徴があります。競争で優位な方向へ全体を誘導し、「劣る」ものを淘汰して消滅させ、「優れた」ものだけを生き残らせる、これを常時続けることで、社会全体が進歩していくという考えです。
ですが、それは、競争で優位であることが「優れて」いる、「正しい」、という認識に根本的な誤りを含んでいるのです。
 全体が競争に優位な方向に動いて、競争に劣位なものを排除していったとき、その社会はきわめて環境の変化に弱い社会となります。ある環境で目覚ましい発展をした企業が、その後環境の変化に適応できず没落した例は数多いですが、一企業ならばともかく、国や社会がそうなればずっと多くの人の悲劇となるでしょう。
 ゆえに社会全体の原理が『競争主義』であってはなりません。淘汰による消滅ではなく多様な能力や特徴をプールすることこそが、社会の安定と発展につながるものです。
 競争の効用は認めつつも一定の範囲内でコントロールし、社会の基本原理はあくまで『共生』であるべきなのだと私たちは考えます。

 共産党が農業・中小企業の保護育成や所得再分配を主張し、自由競争の抑制を唱えるのは、単に人権や人道の問題であるというだけではなく、日本社会、あるいは地域社会の長期的な安定と発展を目指す考えからです。「強者」も「弱者」も共生できる社会を、私たちは目指すものです。
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2012年01月28日

「私は損をしている」感覚


生活相談や議会準備のかたわら、積読状態になっている文献や
資料にいろいろ取り掛かっています。
特に、橋下市長を生んだ大阪ダブル選挙について、
橋下市長の政策批判だけでなく、その背景にある思想、また
強い支持を生んでいる「閉塞感」と「打破への期待」について
深い検討と考察が必要と感じています。
あまりまとまっていませんが、その背景の一つである「感覚」に
ついて書きたいと思います

【『私は〇〇よりも損をしている』】
財政や雇用、社会保障をめぐる議論において、「〇〇よりも××が得をしている」
あるいは「損をしている」という論調が目立ちます。
「高齢者は得をしていて、現役世代は損をしている」「団塊世代は得、若者は損」
「公務員は得をしていて、民間は損」「生活保護は得、まじめに働く人は損」など。

これを分断を煽っている悪しき言説であると思いますが、これを肯定してしまって
いる人もすくなくありません。そして深刻なのは、これが、相反する事実を
示されたら間違いに気づく、またはあらためて考えるという「誤解」ではなく、
相反する事実を示されても受入れられず、むしろより考えを強くするという
「偏見」のレベルになっていること、そうさせる「感覚的」なものがあるということです。
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2011年11月01日

教育と競争について(他ブログへの投稿記事)

私がよくのぞかせてもらっているブログ
橋下知事の教育構想が話題となっています。

私もそこにコメントさせていただきましたので、私の考えを明らかにする意味で
ここに転載します。

エントリー名:あきれ果てる大阪維新の怪の教育構想

大阪維新の会の議員に「教育基本条例」についてインタビューした記事をとりあげて
いました。この議員は、とにかく結果責任を強調し、「ダメな教員」をふり落とすこと、
教育成果に対する校長の責任、教育の複線化、競争教育、また学校への
保護者の責任を主張していました。
そして、格差を広げてでも優れた人材を育てなければと結んでいました。

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2010年12月19日

競争のルールとは

(12/19 12:00一部加筆)

だんだん、元の報道記事とずれてきてしまいましたが、もう少しだけ。

報道記事
高校生、受験より就職が不安=一番人気は「公務員」―電通総研調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101215-00000087-jij-soci


先日のエントリーは、この報道に対して、一部ワイドショーで高校生を責める
ような論評がされたことに怒りを感じたのと、そうした文脈で語られる
「今の若者は『過保護』で『ぬるま湯』に漬かっているから競争を嫌い、
向上心や積極性に欠ける。もっと厳しい『競争』に放り込めば
元気でややる気に満ちたたくましい若者になるに違いない」
というような
考え方に疑問を呈したかったためです。
「『競争』はそんなに良いものか?むしろ、若者の積極性や向上心を
若者を取り巻く『競争』が摘み取っている面もあるのでは」
というものです。

教育や福祉をふくめ、やたらと競争原理で問題解決が図れるかのように言う人
がいますが(競争=効率的・合理的・進歩 非競争=不効率・ムダ・停滞
という単純化した図式がつきまとっています)、そもそも
競争というのは個人も企業も消耗するものです。物心両面のロスも大きいです。
ゆえに、競争に対していつでもポジティブでいられる人はあまりいません。
多数の人には、激しい競争の中から「守りの姿勢」が生まれてしまいます。
競争原理に解決策を見出している人は、このことの理解がかなり薄いのでは
ないかと思うのです。いつでもどんな時も競争にたいしてポジティブで、
失敗をおそれず頑張り、結果としての敗北も甘んじて受け入れる、そんな
「強い」人を想定している
議論なのではと思います。

前回のエントリーで大風呂敷を広げてしまった「健全な競争のためのルール」について。
どのような競争が健全で、一体どんなルールが必要だと考えているのか、
私がこれまで考えてきた論点を述べたいと思います。
(なお、これは日本共産党の見解ではなく私見であることをお断りしておきます)

以下に7つのポイントを挙げます。それぞれの(A)は不健全な状態であり
これを(B)の健全な競争の状態に近づけるためのルールが必要と考えるものです。

1−(A)パイを取り合うだけの競争
  (B)競争を通じて、全体の質や量が向上できる競争

2−(A)勝者が総取りする競争
  (B)敗者にも分配がある競争

3−(A)参加者間に最初から力関係や不公平がある競争
  (B)参加者同士の対等・公平が保障されている競争

4−(A)評価をする側に十分な判断材料が提供されない、
     あるいは判断基準が偏っている競争
  (B)評価をする側が正確・公平な判断を下すことが保障された競争

5−(A)競争への参加・撤退のルールがないか、または不公平な競争
  (B)公平な参加・撤退ルールがある競争

6−(A)参加しないという選択が事実上不可能な強制参加の競争
  (B)参加しないという選択肢をもふくめて選択できる競争。

7−(A)下向きの競争意識(下に落ちるのはイヤだ!)に支えられた競争
  (B)上向きの競争意識(勝ち上がりたい!)に支えられた競争


一番大事なのは1であり、どんな分野においても、競争を取り入れるにあたっ
ては、それが全体の向上に結びつくものなのかをしっかり検討しなければ
なりません。
もちろん(B)の健全な競争にも競争の弊害は生まれますし、(A)と(B)の間には
グレーゾーンが広く存在します。
また、教育や医療など、財政的制約や事業の社会的使命のある分野では、それと両立
できる健全な競争が、そもそも成り立たないことが多いと思います。

たとえば高校への補助金について、受験者数が多い=魅力ある学校だから、受験者数が
多ければ補助金を増額します、そうでないところは減らします、という競争を取り入れた
場合、多くの高校は受験生獲得のために、広告・宣伝にお金をかけるよう
になります。個々の学校予算には限りがあり、補助金も総額は増えないので、
高校全体で見ると、広告・宣伝の分、在校生の教育向上のためのお金が削られて
しまいます。それは学校というものの使命に反するものだと思います。


3回にわたって、私見ばかりを長文で書き流してしまいましたが、
メディア等で当たり前のように語られている「若者像」や「競争原理」に
ついて考えていただくきっかけになればと思います。

また明日から、日常的な記事を書いていきますのでよろしくお願いします。m(__)m
posted by 向川まさひで at 01:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 競争社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月17日

「安定志向」と「競争社会」A

前回エントリーの続きです。

高校生、受験より就職が不安=一番人気は「公務員」―電通総研調査
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101215-00000087-jij-soci
について


【競争社会の副産物としての安定志向】
もうひとつ私が思うのは、「公務員」、「大企業の正社員」、「看護師などの資格職」
という上位回答が、高校生の目から見て「(他の道よりも)絶え間ない競争にさらさ
れず、食いっぱぐれなさそうな」職業であるということです。
もちろん、現実にはそうではないとは思いますが、記事にもあるように「安定志向」で
あることはまちがいありません。バブル崩壊後、「安定した職業も会社もない、どんな
状況でも自力で生きる力をつけよう」と言われ続けて20年近くになりますが、その中
で育った子どもたちが、なぜそれに逆行するのでしょうか。

私は、競争や不安をあおられ続けた副産物として、守りの姿勢としての「安定志向」で
あると思います。先に述べたように、「ゆとり教育」はけして子どもたちを競争から
隔離したものではありません。学校の授業以外では、より激しい競争社会が広がり、
それは友人関係などにも影響を与えています。
他方で、競争に勝っても安泰ではないし、競争に負ければ悲惨な結果が待っていると
煽られます。そして今の競争は将来に続くものだから絶え間なく頑張れと励まされます。

そうした状況で、子どもたちは自分の将来のために競争に取り組もうとするで
しょうか?むしろ逆に、リスクを侵すことを避け、負けを恐れる守りの姿勢に
入ってしまいます。勝ち目の薄い競争なら、ドロップアウトしようとする子どもも
増えるでしょう。
競争が激しすぎれば、競争を忌避する傾向を逆説的に生んでしまうのです。


競争は一定のルールの下で行えば楽しいものですし、そこから向上や発展が
生まれます。
しかし、ルールも時間制限もなく、負ければ地獄、という競争では、人は疲弊し、
萎縮し、守りに入ってしまいます。
「勝ち組」はさらなる向上よりも自分の地位を固めることを指向します。そうでない
多数の人々は、「勝ち組」に挑戦するよりも自分の今の立場に汲々として、
自分より弱い方を叩き、自分より上に行こうとする同輩を妬み、足を引っ張ろうする、
不健全な競争環境が出来てしまいます。

個人ではなく企業の経済活動でも、優位に立った企業が、さらなる向上・競争
にお金を投資するよりも、政治工作や取引先の取り込みなどの防衛策を講じて
他企業の伸張を阻んだり、さまざまなリスクヘッジを行って地位を保全しよう
とすることがしばしばあります。
「利益に責任を負っている」株式会社ならばなおのこと、守りに入るほうが
利益に対して「合理的」と判断すればそうするのが当然、ということになります。

「守りの姿勢」が幅を利かせる社会は停滞しますし、そうした社会のメンバーも幸福
ではありません。

競争を無条件に賛美する人たちに私が賛同できないのは、激しい競争でこうした
「守りの姿勢」が生まれることを考慮していないか、「負け組」の心の弱さの
問題と捉えていることです。
そうではなく、競争が激しすぎたり長く続けば、強い「勝ち組」も守りに入ります。

大事なのは、守りの姿勢を解くためには、さらなる競争や不安を煽ることではなく、
向上心や上昇志向を持って競争に参加できるようなルールを定め、競争で失敗しても
大丈夫、食いっぱぐれることはない、という安心の社会保障を構築することです。
恐怖や不安に脅かされることがないからこそ、失敗を恐れず新しいことに
積極的に取り組む向上心が育ち、それらの競争がさらなる成長・発展を生み出します。


向上心に支えられた競争は、健全な発展と社会の活力、能力や努力への敬意を
生み出しますが、不安や恐怖に支えられた競争は不健全であり、停滞と
勝者へのねたみ、敗者への蔑みを生み、社会の活力を失わせます。


社会主義は競争否定思想で停滞を生む、と考える人がいますが、私たちの考えはそう
ではありません。自由な競争のメリットを十分に生かしつつ、一定のルールを定めて、
競争によって発生する不合理を是正し、競争の成果を、社会全体の幸福に役立て
られるようにしようというものです。
特に経済分野においてこうしたルールが実現した社会を「ルールある経済社会」と
私たちは呼び、その実現を目指しています。続きを読む
posted by 向川まさひで at 03:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 競争社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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